Archifact主催ワークショップ「メディア(映像・音響)と身体2」参加備忘録

6月25日、Archifact主催ワークショップ「メディア(映像・音響)と身体2」に参加した。

 

A rchifact Webサイト:

https://archifact.net/News.html

 

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Archifactは主に舞台作品の映像(記録映像ではなく、劇中映像として舞台空間に投影される映像の作成)やフライヤーデザインなどのポストプロダクションを手掛けており、このワークショップは年4回のペースで実施している。

 

グループとしては映像作品制作が主となるが、舞台演出やグラフィックデザインを手掛けるメンバーで構成されているため、これまではコラボレーション的な活動が主となっている。

今回のワークショップは映像制作・出力と進行はArchifactが行い、音響はノイズミュージシャンのアビシェイカーが手掛けており、身体表現を行う参加者を募う形でメディア側が主導となって舞台・空間表現を模索し拡張していくようなコンセプトに感じた。

 

私自身は過去に、進行役の演出家、宗方勝氏が主宰するbug-depayseのメンバーとして舞台作品の製作に関わり出演しているが、現在は身体表現を行っているわけではなく、強いていえば怪談師という肩書きで「語り」の形式で人前で表現を行っているくらいだ。

日々活動し表現を研磨している俳優、ダンサー、パフォーマンスアーティストが参加する中、「気晴らし」くらいの軽い気持ちで今回のワークショップに参加したが、自分自身の現在の興味や表現ジャンルに関わらず、映像・音響と身体が交差し立ち上がる空間に接したことで、表現に向かう上での気づきや新鮮な面白さがあり、備忘録代わりに感想と所感を述べたい。

 

当日の構成は以下のプログラムの通り。どのような仕組みの映像・音響を用いたかを引用しつつ、手短に内容を合わせて紹介したい。

 

1,映像と身体

Azure Kinectによるモーショントラッキングデータをスケルトンモデルに反映させ演者の動きをリアルタイムで可視化

 

…これは積み木で組み上げたような人型のスケルトンが映像に投影され、トラッキング可能な範囲にいる人物の動きがスケルトンにリアルタイムで反映されるというもの。

ケルトンはシンプルな造形で、微細な表現の反映は難しいものの、手足首の関節の動きはかなり正確に反映されている。例えるならデッサン用のポーズ人形が可能な動きをなぞれる感じなのだが、参加者は自分が人形となり手足を動かすかのごとく、スケルトンに反映可能な可動表現範囲を探る身体の動きとなっていたように思う。

また、演者が椅子に座ると椅子が障害となり人物が認識されず、映像上には「そこにいない」事象も発生した。ディスカッションでは「もし車椅子の利用者がそこにいた場合、彼らの存在はまるまる『いないもの』とされるのでは?」という意見もあり、映像が平準化された身体をそのまま投影するメディアとして表象・機能させた場合、そこから弾き出される非定型の身体という社会的な意味合いを批判的にアプローチする手段ともなり得るように感じた。

 

 

2,音響と身体

①手の動きをモーショントラッキングしカーソル(音階)を操作。リピートされるとカーソルが重なった時間にMIDIデータを生成、DAWによってサウンドを奏でる。

 

…簡単に言えば、映像上では演者の両手の位置と動きのみが四角い小さなアイコンで反映され、その位置取りがそのまま映像上では楽譜の音符となり、手の上下左右の移動によって音階と音を鳴らすタイミングを操作できる、というもの。

両手を上げれば高い音が鳴り、左右に移動すると楽譜上で音の鳴るタイミングが変わる。仕組みが明確な分、参加者は身体表現よりも「いかにいい感じの音階を作れるか」に注力することになり、メディアが主となって身体が追随する形となる。

両腕を無作為に大きく動かすためパントマイムのような動きとなり、メディアによって演者の表現のコントロールから外れることで無意識的な身体のムーブメントの面白さが露呈していくように感じた。

 

 

②顔認証ライブラリを利用。撮影された人物の唇の開閉をリアルタイムでMIDIに変換させ、サウンドを生成。

 

…顔認証された人物の唇の動きに合わせて、人物の話す声と共に生成されたサウンド(今回はノイズや参加者が話す音声がリアルタイムでリミックスされたものだった)が流れる、というもの。話す声をかき消すように出力されるサウンドは暴力的ではあるが、増幅し反響され、元の声を覆い潰す点では興味深い。このアイデアは舞台音響や朗読などの声が主体のパフォーマンスに生かせるのでは?という印象。

 

3,即興パフォーマンス

 

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※上記画像は即興パフォーマンス時に撮影されたもの。空間前面中央には小さな照明。背景は常に映像が投影され、演者のシルエットが浮かび上がる。お面(自身で製作した作品を持参)を被っているのは筆者。

 

bug-depayse宗方氏による即興演出(出はけや行為の指示)をトリガーに参加者全員が参加する即興パフォーマンス。Motoki氏のサウンド、大場氏の映像も即興で展開される中、参加者はそれぞれの身体表現を行い、即興で生まれ変容変化する空間を創り上げる。

 

…やはり即興パフォーマンスとなれば、参加者の独壇場である。参加者のジャンルが多彩だからこそ身体表現の幅が広く、コンテンポラリーダンサー同士の切磋琢磨するようなセッション、俳優のモノローグ、パフォーマンスアーティストの行為が一体となって、一つの数メートル四方の空間に表出される。参加者は宗方氏の指示のもと、順番に空間に赴き即興を行っていたが、パフォーマンスの熱量は大きく、起承転結の構成と、混沌から収束するカタルシスを味わえた。

一方で、映像音響も同時に始終即興で投影再生されていたものの、参加者目線では参加者同士の身体的コラボレーションに比べ、意図的にメディアと関わって表現をするのは難しく感じた。勿論、映像の光や音響の盛り上がりに合わせての表現は可能だが、身体表現者の意識としては、パフォーマンスの着眼が身体に向きがちではあると思う。

 

 

メディア主体のワークショップとしての落としどころや表現の追求には課題があるが、フレーミングされたジャンルとしてのテクノロジー主体のメディアアートではなく、舞台・表現空間に於いて「演者に従属しない音響映像メディア」としての並立・融合する表現に可能性を感じた。コラボレーション主体であるArchifactの強みと面白さは、このあたりにあるように思う。

 

ワークショップ終了後、Archifact代表の大場氏に伺ったところ、

今後の課題としては、身体とメディアの操作する/される側という相関性をよりフラット化・シームレス化し、どちらかといえば手を動かせば風が吹くといった自然現象のような関係性で空間を構成すると同時に、メディアの現在性をより強く特徴づけるテクノロジーのズレ・遅延・ノイズなどのネガティブ要素を逆利用した作品構築によって、通例的に存在するメディア作品との差別化を目指す--という目標があるようだ。

今後の彼らの動きにも是非注目したいと思う。